東北工業大学

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※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

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バスでスイカが使えたなら

VOL.036 近藤 祐一郎(環境エネルギー学科)

師走も半ばを過ぎ、そろそろ今年も終わりに近づいてきました。いろいろなことがあった1年でしたが、私にとって特に印象に残っているのは「icsca」が付いた職員証が新たに交付されたことです。

なんでも、「icsca」は「Suica」と相互利用が可能とのことですから、東京で使っていた「Suica」でそのまま仙台の電車やバスにも乗れるということでしょうか・・・便利ですね。あの時、これが使えたなら・・・。

昭和天皇が崩御された2か月後の平成元(1989)年3月末、私は初めて仙台を訪れました。東京の実家を離れ本学工業意匠学科(現CD学科とSD学科の前身)へ入学することになったためです。大学には二つの寮があり、そのうちの一つ、広洋寮に入寮することになりました。広洋寮は現在のみやぎ生協八木山店の場所にあった鉄筋4階建ての建物です。

入寮して二日後位でしょうか、部屋の片付けもひと段落したので、仙台の町中に行くことにしました。ちょうど寮の前にバス停「八木山本町二丁目」がありました。寮の先輩によると、「仙台駅」と書いてあるバスに乗れば30分ほどで着くとのこと。平日のお昼近くということもあり、乗車待ちの客は私ひとり。肌を刺す寒風と、雲一つ無い青空、道端に残る雪…「北国の春」を肌で感じた時でした。

しばらくして、ようやくバスが到着。しかし、バスのドアは閉まったまま。ドアの前で手を振るとようやく開きました。入り口を上がろうとすると、「お客さん、後ろから乗って下さーい」と運転手。「え?」と私。しばしフリーズ。「入り口は後ろです」と再び運転手。ひとまず、後ろに行くとドアが開いていたので、そこから上がることにしました〔注:東京の都営バスは、前から乗り後ろから降ります〕。

気を取り直してバスの階段を上がると、再び運転手が「お客さーん、券取ってくださーい」とアナウンス。「え、何それ?」と私。そして再びフリーズ。その状況にちょうど向かいに座っていたおばちゃんが「それそれ、そこから出てる紙を取るの」と教えてくれました。奥に座っていた女子高生達からは「クスクスッ」と嘲笑がもれます。その紙を取ると「ピ」と音がし、それを確認したのかバスはようやく発車しました。バスの乗客全員からの熱い視線を何とか避けるべく、さっきのおばちゃんの横が空いていたのでそこに座らせてもらいました。

もうすっかり恥ずかしさで下を向いたまま顔を上げられない私・・・。そんな私に「おにいちゃん、どっから来たの? バスは初めて?」と大きな声で話かけてくる隣のおばちゃん。《そんなハズないでしょ!》と心のなかで叫んでも聞こえる訳もありません。かと言って《東京から来ました》などと答えようものなら、《東京なのにバス乗れないの?》などと言われるのが落ち。無視する訳にもいかず、「えっと、み、南の方・・・」と当たり障りなく答えました。「南って、どこ? 〇×村? △□村?」と畳みかけるように聞いてきます。《ここから先は適当な地名を言うと更に突っ込まれ、ドツボにハマること間違いない!》そう感じ、ニコニコしながら、たぬき寝入りをすることにしました。奥の方から「どっから来たんだろね?」というヒソヒソ話が聞こえてきます。動物園も、広瀬川も、見る余裕など全く無く、頭を垂れたままひたすら仙台駅に着くことを願っていました。

「次はJR仙台駅前」のアナウンスが流れました。降りる時に降車ボタンを押すことは同じでした。一刻も早くこの場を去りたい気持ちから、わき目も触れずボタンを押しました。「みんな降りるから、急いで押さなくても大丈夫」と隣のおばちゃん。再び奥の方から「クスクスッ」という冷笑・・・。そして、ようやく到着しました。寮の先輩は30分位と教えてくれたのに、倍に感じるほどの時間が流れていました。

手元の番号札の番号と前方の掲示板の番号を照らし合わせ、その金額を支払うということはここまでの乗客のなりふりで学習しました。運賃は確か360円位だったと思います。前に並ぶ乗客は、番号札と硬貨をいっしょに透明なボックスに入れています。それらはベルトコンベアにゆっくりと運ばれていくのですが、その間に運転手が正しい金額か否かを確認しているのでしょう。運転手、スゴイ。そして、釣銭なく運賃ピッタリの硬貨を入れる乗客も、スゴイ。

いよいよ降車の時が来ました。こんな時に限って、財布のなかには360円ピッタリの硬貨がありません。《どうしよう、支払い方が分からない(汗)》。財布のなかには100円玉が4枚あります。旅の恥はかき捨て、運転手に「400円しかないんですけど、どうしたらいいですか?」と尋ねました。運転手は何も言わず硬貨の投入口らしき場所を指さします。《ははぁ、なるほど、お釣りのある人はここからお金を入れるということね》。もうこれで迷いは吹っ切れました。番号券をベルトコンベアに投げ込み、今までの汚名を返上するかのように100円玉4枚を勢いよく投入しました。

次の瞬間、「あぁぁーーー」と運転手。「これはね、両替機なの。だから一枚しか入れちゃいけないの。ほら、詰まっちゃったじゃない…。」運転手はそそくさとカギを回し中から100円玉を4枚取り出しました。そのうち3枚をボックスに入れ、残りの1枚を再び投入口へ入れると50円玉が1枚、10円玉が5枚出てきました。そこから60円分の硬貨をボックスに入れ、残り40円を私に手渡してくれました。後ろには既に行列ができていました。最後も、奥の方から「クスクスッ」という嘲笑・・・というよりはもはや、憫笑。

そして時は流れ、28年後…この職員証を眺めながら妄想します。もし、あの時、Suicaが使えたなら、あんな失態を演じなくても済んだのではないか、と。もっとも、後ろから乗ることができれば、の話ですが・・・(汗)。

近藤 祐一郎 准教授

研究分野:エコデザイン

近藤研究室

説明:「意匠」とは、心に生起した思いを道具を介して生活用具を制作し、人びとの心を充足させていく行為である、と常々師匠は仰っていました。このような「意匠」に、「環境」の視点を加えた「エコデザイン」の研究や教育、社会貢献に挑戦しています。
近藤 祐一郎 研究室

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