東北工業大学

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学長室

学長メッセージ集

No.14学長インタビュー

2014.04.18

Q1 生年月日と出身地を教えてください。
1942(昭和17)年12月12日、北海道函館市生まれです。第二次世界大戦中でしたので、民謡の「江差追分」で有名な江差町(北海道檜山郡)の近くの上ノ国村という小さな村に疎開し、小学生時代を過ごしました。中学2年の時、再び函館に戻りました。ですから出身地は函館です。多感な青春を過ごした函館は今でも懐かしく思っています。

Q2 小学生の時はどんな子どもでしたか?
上ノ国村は田舎でしたので、海、山、川でよく遊びました。当時の私は、勇気も思いやりもない子どもでした。今思い出してみると反省ばかりで、恥ずかしい限りです。ですから、今は人に対して優しい気持ちを持ち、勇気を持って弱い人の味方になりたいと常に思っています。でもなかなか思い通りにはなりません。小さい時から、最も大事なことは何であるかを、きちんと教えることが必要ですね。

Q3 中学時代はどうでしたか?
1学年12クラス、1クラス60人位の生徒がいる中学校でした。時代がそうだったと思いますが、経済的にも困難な家庭の生徒もおりました。優秀で高校に行きたくても、中学を終えたら就職する生徒が、私のクラスには10名弱いました。お昼には教室で担任の先生も含め皆で持ってきた弁当を食べますが、弁当を持ってくることのできない生徒もおりました。私はそれを見るのが辛くて、ある時から私も弁当を持って行かなくなりました。弁当を持ってこれない人と同じ気持ちで過ごしたのです。

Q4 研究者としてのご専門は何ですか?
電波や光を伝える「伝送路」に関する研究が専門ですが、研究者として最後に最も力を入れた分野は、たまたまそうなったのですが、レーザ医療・歯科治療用のファイバの研究です。波長が2.94μmのEr:YAGレーザ、10.6μmのCO2レーザ光を自由に導く中空ファイバの発明と実用化の研究です。その成果は現在、世界中で市販されているEr:YAGレーザやCO2レーザ医療装置に使用されています。例えば、http://www.morita.com/global/cms/website.php?id=/jp/products/dental/newfilename/erwin_adverl_evo.htmをご覧ください。

Q5 東北工業大学の学生についてどのように感じていますか?
華やかさはありませんが、地味で真面目だという印象を持っています。技術系企業の方の印象では、「ねばり強く最後まで仕事に取り組む姿勢がある」という話も聞いています。これからも、今のままのように派手でなく、素直、実直な学生でいてほしいと思います。

Q6 東北工業大学の学生に期待することは何ですか?
人間性あふれる技術者になり、世の中を少しでも良くする人になって貰いたいことです。良くしよう、良くしようと思えば、その種はどんどん出てくるものです。その気になれば、時間をかけることによって、誰でも夢や目標は叶えられると思います。努力する人がいつかは報われる、という社会を作る人になって貰いたいと思います。
世の中は、大学での学生評価とは別なもので動いています。限られた時間で、教えられたことを、一人で回答する大学の試験とは異なります。学生の今は、幾らでも時間を費やすことができるので、新しいことを、人に聞いたり、書物やインターネットを用いたりして、回答を作ればいいのです。
将来、企業で活躍するには、
(1)やる気があること
(2)明るいこと
(3)相手の気持ちを理解すること
(4)相手とお話しできること
(5)相手に好かれること
が大切だと思います。

Q7 東北工業大学の先生・職員に対して期待することは?
先生には学生の教育と研究という大事な任務があります。そしてまた、研究を通して社会貢献をしていかなければなりません。社会、企業は大学の力を必要としていますので、今以上に社会貢献を意識し、東北工業大学の名前を世の中に出して貰いたいと思います。良い人材や研究が大学の中で埋もれているのはもったいないことです。また、現実の社会から多くを学ぶという姿勢も大切だと思います。
職員の方は教員と協力して、教育、研究、社会貢献を意識した活動をすることが必要です。教員と職員が共に働く、教職協働を互いに心がけることが必要でしょう。

Q8 学長になった前後で一番変わったことは何ですか?
私自身、最近は大学、高専での管理運営的な仕事が多かったので、大きな変化はありません。私はいつも、大学(組織)を良くすること、学生・教職員(構成員)のために何ができるか、を考えています。“責任が重くなった”、というのが一番大きな変化です。

Q9 大学の先生になっていなかったら何になっていたと思いますか?
高校生の時、進路で大きな悩みがありました。数学が好きだったので、技術系の大学に行き技術者として企業に就職するか、海上保安大学校へ行って巡視船の航海士になるか、です。父が小さな漁船で函館近海でのイカ釣りやベーリング海での鮭漁をしていましたので、高校生の頃は巡視船に乗って海で遭難する人がいたら、大嵐でも吹雪の時でも助けに行きたいと思っていました。そういうわけで、多分、海上保安庁に入り、最後は巡視船の船長になっていたと思います。

Q10 大学生の時の一番の思い出は何ですか?
大学2年生の時、応用数学の試験を受けた100人位の受講者の中で、「この問題(フーリエ級数の問題でした)を解けた学生がこの中に一人だけいる」という言葉を先生から聞いた時です。名前は公表されませんでしたが、その学生は私です。こうして褒められたことを未だに覚えているのです。
できるだけ人の良さを見つけ、褒めることがどんな時でも大切なことだと思います。皆さんも将来、就職して何人かの部下を持つようになったら、叱って育てるのではなく、人のいいところを可能な限り見つけ、褒めることを心がけて貰いたいと思います。

Q11 お休みの日は何をしていますか?
日曜日は教会の礼拝に必ず出席しています。その他の休みの時は、道路脇の空き地に花を植えたり、小さな木を植えたりしています。自宅の家庭菜園では畑を耕したり、種をまいたりして楽しんでいます。

Q12 ご自分にとってのプチ贅沢は何ですか?
私は今、物欲があまり多くはありません。強いていえば、おいしい食事をすることです。それも安いお店を見つけ、おいしいものを食べる、ということです。値段が高い店で高級料理を出すのは当たり前ですからね。

Q13 好きな芸能人は誰ですか?また、その理由も一言。
吉永小百合さんでしょうか。同世代の人ですし、今でも活躍していますね。私が大学生の時に見た、映画「キューポラのある街」が強く印象に残っています。貧しい生活の中で、幸せに向かって生きていく一人の少女を描いている映画です。小百合さんご本人はどのような方か全く分かりませんので、映画の中の吉永小百合さんです。

Q14 毎日でも食べられる!好物はありますか?
 そのような好物はありません。お寿司は好きですし、イタリアン、中華料理も好きですね。中華料理では値段が安い店を知っていますから、興味のある人は私にお尋ねください。

Q15 おすすめの曲はありますか?
音楽は何でも好きですが、特にクラシック音楽が大好きです。その中でもバッハは好きですね。マタイ受難曲などは最高です。ただ、この曲は重い曲ですので、しっかり聴かなければなりません。心身が疲れているときは、あまり聞く気にならないことも確かです。

Q16 無人島に1つだけ持っていけるとしたら何を持っていきますか?
私はクリスチャンなので、聖書といいたいところですが、ん〜、分かりません。生き続ける必要があるでしょうから、何か道具でしょうか。

Q17 ご自分にとっての宝物はなんですか?(できれば物でお答えください)
特別ありません。物には固執していませんので。

Q18 このインタビューを受けての感想を一言お願いします。
質問の内容から、インタビュアーのあたたかさを感じました。とても気持ちよく答えることができましたから。ありがとうございました。